2011-03-12

東北地方太平洋沖地震2011-3-11

東北地方太平洋沖地震で被災された方の無事と一刻も早い復旧をお祈りいたします。

また、これを見ている方やTwitterのフォロワーさんが無事でありますように。



私と家族は皆、無事です。自宅の方も異常はありません。

昨日は電車(JR南武線)も運休状態とのことで徒歩(60分)で帰宅しました。



職場(東京都府中市)でこの地震に遭いました。

職場の人と電話で打ち合わせている途中にでした。揺れを感じつつも10秒程度で収まるだろうと、話を続けていたのですが、次第に大きくなる揺れに驚いて、話の途中で電話を切って机の下にもぐりました。

訓練で机の下にもぐることは小学生の頃から何度かやってますが、本当の地震の揺れでもぐるのは初めての経験です。

とても長い揺れでした。これまで経験した地震の中では一番長く、大きな揺れだったと思います。正直、恐怖を覚えました。身の不安を感じました。何分ほど揺れていのでしょうか?感覚的には3分程度は揺れていたのではないかと思ってます。(実際のところはどうなんでしょう。それほどでもない?)

最初の揺れが収まった後も断続的に揺れがあり、社内全員、外に避難することになりました。半期に1度の訓練と同じように、並んで清々と外へ。集合、整列、点呼と。700人ぐらいの人たちが社屋の横の広場に10分程度で整列しました。このあたりは(時間を使ってめんどくさいけれど)日ごろ訓練しておいてよかったと感じるところです。

各自、思い思いの方法で情報収集しておりました。携帯電話でチェックする人、ワンセグTVでテレビをチェックする人。家族と連絡を取ろうとする人。

私もXperia(スマートフォン)でTwitterで流れている情報を眺めておりました。震源や規模の情報、火災や道路の破損の情報など、流れてくる情報は全く予想していないものばかりでした。

まさか東北で起きた地震でこっちでこれほどの揺れを体感するとは…

避難した広場で比較大きな余震にも遭いました。揺れている中、事務所のある建物を見ると肉眼でも建物が揺れているがハッキリわかりました。一緒に避難した周りの方々からもどよめきが。何というか、豆腐がゆれているというかそんな感じです。聞いた話では揺れることで耐震性を高めている構造の建物なのだとか。強く、長い揺れと感じたのもそのせいでしょうか。(5階建ての建物の4階に事務所)

40分ほどで避難解除で解散。事務所に戻ったものの落ち着いて仕事ができない状態でした。余震が来ると「またっ?」と手が止まってしまいます。結局、地震で異常が無いかの確認をするだけで終業時間を迎えてしまいました。

この頃には実家や家族とも連絡が取れて安堵しておりました。

次に心配なのは自宅の状態。建物は大丈夫だろうけど部屋の中ははたしてどうなっていることやら。

仕事場から帰ろうにも電車は止まっている様子。バスも動いていたとしてもおそらく混んでいるか、あるいは混乱してることだろうから、明るいうちに徒歩で帰ることにしました。職場から自宅までは歩いて大体60分の道のりです。(体重を気にして徒歩で帰宅したりとかしてたことがあるので、)徒歩での帰宅ルートは把握済み。ただ、今回は途中で何が起きるかわからないので、多周りだけど比較的人通りのあるルートを選んで帰ることにしました。

いつもより歩いている人は多いようでした。そして歩くペースも速い。一刻も早く帰って家族や自宅の無事を確認したいのは皆同じ気持ちだったことでしょう。

途中に寄り道したコンビニでは、歩いて帰宅されている方が店員さんに道を尋ねる姿もありました。店員さんが商品のロードマップを見せながら案内していました。私も途中、谷保天満宮前で立川方向から来られた方に矢野口駅への道を尋ねられました。(とりあえず府中を目指す案内させていただきました。)無事帰宅されていればいいのですが。


自宅に着いたのはPM7:00を過ぎた頃。マンションの供用部についてはエレベータが止まってた以外は特に異常はないようでした。

ガスのメータが止まっていないことを確認して部屋の中へ。キッチンのカウンターに置いていた水筒がシンクに落ちていた以外はとくに異常なし。心配していた冷蔵庫やテレビもちゃんと立っていました。


その後は改めてTVとネットで情報収集。被害の大きさに驚いています。

まだまだ油断はできないとジーパンをはいたまま寝る準備をしました。
手元には懐中電灯。もちろんXperiaほかスマートフォンや充電池の充電も。



一刻も早い救済や復旧を期待します。

とりあえずできることは

電気の節約、ネットのトラフィックの節約、外出も控えて、あとはちゃんとしたところで義援金を。

こんな感じかな。